2016年12月18日日曜日

●2016年12月18日(日)群馬県高崎市消火栓マンホールのふた

高崎市(たかさきし)は、関東地方の北西部、群馬県中部よりやや南西に位置する中核市。旧群馬郡・碓氷郡・多野郡(多胡郡・緑野郡)・甘楽郡(1900年(明治33年)の市制当時の区域は旧群馬郡)。平成の大合併により、群馬県内では最大の人口を擁する都市となった。

古くから交通の要衝で、中山道(国道17号・国道18号)と三国街道(群馬県道25号高崎渋川線)の分岐点、関越自動車道と北関東自動車道の分岐点、上越新幹線と北陸新幹線の分岐点ともなるなど、全国有数の交通拠点都市である。新幹線の停車する高崎駅は群馬県の県庁所在地前橋市の玄関口ともなっており、群馬県の交通の中心地である。平成の大合併では、倉渕村、箕郷町、群馬町、新町、榛名町、さらには吉井町を編入し、広大な市域に県内一の人口を擁するようになった。都市圏人口は約53万人で、都市圏人口としては県内一の規模である[注釈 1]。公示地価では、高崎市が商業地・住宅地とも県内最高地点を占めている。市の中心地域(中心市街地)は旧群馬郡高崎町を中心とする地域である。
江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。街道筋の田町、本町、新町(現:あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほどである。鍛冶町には鍛冶職人が、鞘町には刀の鞘師が、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名として留めている。 現代でも県内有数の商業都市として盛えている。また、高崎郊外に位置する問屋町は、日本初の郊外型問屋団地である。
政治的には、本市から自民党の政治家(総理大臣については本市から3名)を多く出しており、「自民王国」としても有名である[要出典]。
日本一のだるまの産地であり、国道18号沿いにはだるまの生産工場が集中している。また、数少ないオーケストラのある地方都市であり、高崎マーチングフェスティバルが開かれるなど、音楽に関する活動が盛んであることから、高崎市は「音楽のある街」と名乗っている。また、高崎フィルム・コミッションにより、ドラマ・映画・プロモーションビデオ等の撮影を誘致しており、しばしば高崎の市街地や学校などが登場する。毎年、高崎映画祭を開催するなど、音楽以外の芸術・文化活動も盛んである。

以上WIkipediaより引用


2016年12月11日日曜日

●2016年12月11日(日)栃木県足利市市章合流マンホールのふた
足利市は栃木県の南西部にある人口約15万人の市です。

足利市は古くから織物のまちとして知られていますが、近年はアルミや機械金属、プラスチック工業などを中心に、総合的な商工業都市になっています。

マンホールのふたの真中にデザインされている市章は足利市のHPによると以下のとおりです。

 日本最古の書物『古事記(こじき)』に出てくる『倭建命(やまとたけるのみこと)』の御子(みこ)、『足鏡別王(あしかがみわけのきみ)』が足利市の地を治めたという言い伝えから、古鏡(神鏡)を輪郭にして中央に『足』の文字を配しています。

 大正3年1月14日、町章として制定したものを、大正10年1月1日の市制施行後も市章としています。

2016年12月4日日曜日

●2016年12月4日(日)茨城県古河市市章汚水マンホールのふた
古河市は茨城県南東部にある市です。
今回、紹介するマンホールンもふたにデザインされているのは初代(平成の大合併前)の市章です。

この市章は古河の「古」を太陽と鷲の形に図案化したものです。


2016年11月27日日曜日

●2016年11月27日(日)福島県県章原町工業用水道排泥室マンホールのふた
原町は福島県の太平洋岸北部にあった市です。
平成の大合併後は、南相馬市の中核をなす街となっています。
この工業用水道の名前は現在はなく、相馬工業用水道の一部となっているようです。


2016年11月20日日曜日

●2016年11月20日(日)山形県寒河江市汚水デザインマンホールのふた

 寒河江市は、山形県のほぼ中央に位置し、山形市から20キロメートル圏内にあります。西村山地域の中核として発展し、市内を庄内地方と県都・山形市を結ぶ国道112号が走り、また、山形県の中央を横断し、庄内地方と宮城県とを結ぶ山形自動車道には、寒河江インターチェンジと寒河江サービスエリアスマートインターチェンジでアクセスしており、県内高速交通網の要衝となっております。
 山形県の母なる川・最上川と清流・寒河江川が、市街地を包むように流れ、月山と葉山、遠くに蔵王、朝日連峰を望み、四季の変化に富んだ美しい景観と豊かな自然環境に恵まれ、千年以上もの間育まれてきた歴史や文化を有しております。

以上寒河江市HPより引用

寒河江市の地名の由来は以下のように諸説あるようです。
# 平安時代に京都藤原家の荘園として開かれた。相模の国寒川(さむかわ)からの移住者が寒河江周辺を郷里の寒川周辺と似ていたため「寒川」と呼び、河川が増水して入江になった名残で「寒河江」となった。

# これは難読地名の一つで、山形市の北西約15kmにあるサクランボで有名な町ですね。この寒河江という地名は単純に考えれば「寒い川のほとり」ということなのでしょうが。そもそも「サガ」は朝鮮由来の名で、「相模」「寒川」あたりに由来する地名と言われています。

※ 以上は、山形新聞社刊 やまがた地名伝説によるものだが、一方、「地名の秘密 そんな歴史があったのか」武光誠著では以下のように述べている。

# 鎌倉時代の始めに大江広元がこの地の地頭に任命され、彼が「寒河江」と名付けた。「さがえ」と言う地名は「さかえ」がなまったものと言われる。集落と集落を分ける川を「境川」と言うが、寒河江川は以前は境川だったと推測される。源頼朝に気にいられた学者だった大江広元は自分の領地に優雅な名前をつけようとした。その川は、京や鎌倉の川よりもはるかに寒かった。従って、「寒い河」に自分の名字の「江」の一字をつけて「寒河江」とした。広元の子孫でこの地を本拠地とした一族は「寒河江」を名乗ったが後に最上義光に滅ぼされる。また、子孫のうち安芸に移り住んだ一族は毛利を名乗った。

# 山形県の地名辞典(平凡社)によると、寒河江の地名は、関東地方の寒川農民が移民として入り、定住するようになり、その場所が入江が多かったため、はじめは「寒川の江」と呼び、後に「さがえ」と呼ぶようになった。【日本の中の朝鮮文化(12)陸奥・出羽ほか 金達寿 講談社】

# 延喜式の佐芸(さき)から転訛した。

# 毎春河川が雪解け水で満水となり、一面が大河のようになる所から。

※ だいぶ違うんだけどどっちが本当なのか?昔の話ってそういうもんなんだろうなぁ。

# 「さか(傾斜地)」+「え(川)」から転じたもので、「傾斜地の川」のこと。また、「さが(険しい地形)」+「え(川)」で「険しい谷を流れる川」のこと。【市町村名語源辞典 溝手理太郎 東京堂出版】
※ 寒河江川が先なのか?それとも寒河江の地名が先なのか?

# 「さっかい(箸)」など、アイヌ語の残存地名というが、発音があわない。願望地名の「栄」の転か。古地図には「さか江」と濁っていない。また、寒河江川は古代の最上郡と村山郡をわける境川の意味にもとれる。【JR・第三セクター 全駅ルーツ事典 村石利夫 東京堂出版】

以上http://folklore2006.jp/timei200/0003.htmより引用

マンホールのふたの真中には、寒河江市の木であり特産物のさくらんぼ、周りには寒河江市の花であるツツジがデザインされています。



2016年11月13日日曜日


●2016年11月13日(日)
秋田県秋田市市章雨水デザインマンホールのふた
秋田県の県庁所在地で人口およそ31.5万人の中核市です。
秋田の由来は、日本で初めて書かれた歴史の本「日本書紀」に、秋田の地名が「齶田(あぎた)」と出てきます。
7世紀の中ごろ阿部比羅夫が水軍を率いてやってきたころのことです。
その後、まもなくアギタは「飽田」に書きかえられます。
「飽田」は、低湿地を意味する悪土などからきた悪田から生まれた地名とも言われています。
やがて天平時代には、「秋田」と書かれるようになりました。
マンホールのふたの真中には「下水」の文字の中に秋田市の市章がデザインされています。
秋田市の市章は昭和3年6月に制定。的に「矢留」の形と、秋田市の「田」の字をあらわす。
「矢留」とは旧秋田藩主佐竹氏の居城「久保田」の別名。(秋田市HPより引用)
周りには東北三大祭りの「竿灯」がデザインされています。
マンホールのふたの右側の竿灯には「秋田市の市章」、左側の竿灯には秋田を治めた「佐竹氏の家紋」デザインされています。




2016年11月6日日曜日

●2016年11月6日(日)
宮城県刈田郡蔵王町町章汚水マンホールのふた

蔵王町(ざおうまち)は昭和30年、宮村と円田村が合併して誕生しました。東北の霊峰蔵王連峰の東麓、宮城県の南西部に位置し、町域の約6割が山林・原野で占められています。町の中央を松川が貫流し美しい渓谷の景観を作り出しています。蔵王連峰に連なる高原地帯には貴重な野鳥などが生息し、自然の宝庫となっています。


昭和30年4月1日、町制施行により宮村、円田村が合併し、蔵王連峰の一部を有していることから、蔵王町(ざおうまち)という町名になりました。

蔵王町の町章は「ざおう」の「ざ」を図案化したもので、蔵王連峰を象徴する山の形と、わが町特産のももの形が配されており、蔵王町の限りない飛躍と住民の融和を表わしています。この町章は昭和34年3月に一般から公募し、制定したものです。

(以上蔵王町HPより引用)

2016年10月16日日曜日

●2016年10月16日(日)岩手県盛岡市市章排水弁マンホールのふた
ほぼ一年前に盛岡市市章汚水マンホールのふたを紹介ました。
今回は排水弁のマンホールのふたのご紹介です。
違いはといえば、市章の周りの模様が川の流れのような模様をしているところでしょうか?
詳細はわかりませんが上水道(排水弁)と下水道(汚水や雨水)でデザインを分けているのでしょうか?


盛岡市についてはこちらをどうぞ・・・。
http://tenore0.blogspot.jp/2015_10_01_archive.html

2016年10月2日日曜日

●2016年10月2日(日)
青森県県章馬淵川流域下水道マンホールのふた
馬淵川は岩手県北部に端を発し、青森県南部を流れ、最後は八戸市内を流れ、太平洋へと流れ出る川です。

2016年9月25日日曜日

●2016年9月25日(日)北海道札幌市デザインマンホールのふた
このマンホールのふたには真中に札幌のシンボルである時計台、その周りには豊平川?を遡上する鮭が二匹デザインされています。
札幌市の地名や他のマンホールのふたについての情報は本ブログの2015年9月22日をご参照ください。


2016年9月18日日曜日

●2016年9月18日(日)国有水路マンホールのふた
国が管理するものもたくさんあるようです。
このふたの下には水路があるようです。
問題はこの水路がどこの管轄なのかということですが・・・・。
謎です。

2016年9月11日日曜日

●2016年9月11日(日)JR(Japan Railways)マンホールのふた
このふたは埼玉県川口市で撮影しました。
このふたの中、つまり用途の詳細は不明ですが、通信ケーブルが入ってるのではないかと推定されます。

2016年8月21日日曜日

●2016年8月21日(日)福岡県福岡市市章マンホールのふた
福岡市は九州北部にある人口約150万人(2016年6月1日現在)の政令指定都市であり、九州一の都市です。

福岡市の地名の由来は以下の通りです(Wikipediaより引用)
博多湾に面するこの地域は古来から博多(はかた)として認識されており、大陸方面への玄関口として利用されてきた。中世に商人による自治都市が形成され、戦乱で度々焼き払われながらも、豊かな町人文化を育んだ。豊臣秀吉の手で復興されたのち、黒田氏が福岡城とその城下町を築いたことで、那珂川を境に西が城下町としての「福岡」、東が商人町としての「博多」となった[1]。その後、江戸時代から明治時代初めにかけて、福岡と博多は共存していたが、1876年に福岡と博多は統合され福博(ふくはく)となり、その後、福岡と改称された。

真中にデザインされている市章については以下のとおりです。(福岡市HPより引用)
現在の福岡市章は、明治42(1909)年10月に制定されました。
カタカナの「フ」を9個組み合わせて、「福」をあらわしています。

2016年8月15日月曜日

●2016年8月15日(月) 高知県高知市紋章合流マンホールのふた
高知市は四国の中南部に位置し、人口33.5万人の高知県の顕著所在地です。
高知市の人口は高知県の人口の46.5%を占めます。
高知市の名前の由来は、以下の通りです。
高知城の周辺は、鏡川などの川に挟まれた地形であった。このため、高知城は当初、「河中山城」(こうちやまじょう)と呼ばれていたが、音を借りて「高智山城」と改め、やがてこれが略されて「高知城」となった。
マンホールのふたの真中にある高知市の紋章は高知の「高」の字を意匠化したものと思われます。

2016年8月7日日曜日

●2016年8月7日(日)愛媛県越智郡波方町町章マンホールのふた
越智郡波方町は島嶼部を除く、愛媛県の最北端に2005年1月16日まであった町です。
2000年10月1日現在の人口は9,900人でした。
現在は、周辺の11市町村と合併し今治市となりました。
波方町は来島海峡で活躍した村上水軍の拠点であり、海時都市として栄えました。
波方町にある波方港からは対岸にある竹原港までのフェリーが運航されていましたが、しまなみ海道の開通と燃料の高騰により2009年4月に廃止されました。
真中にデザインされている町章は波方を八方(はがた)で現わし、太陽と操舵により、 波方町の発展を円内に図案化したもので農業、水産業、海運業を意味しています。



2016年7月31日日曜日

●2016年7月31日(日) 山口県下関市下水道デザインマンホールのふた

山口県下関市は山口県西部にある人口26.7万人あまり(2016年
6月1日現在)の中核都市です。

下関市は中国地方にありながら、関門海峡をはさんで北九州市との距離も近いため、経済的にも九州との結び付きが強いです。

マンホールのふたには下関の「し」に囲まれた名産の「ふく」がデザインされています。

2016年7月17日日曜日

●2016年7月17日(日)
広島県広島市市章汚水マンホールのふた

広島市は広島県南西部に位置し、人口約119万人(2016年6月1日現在)の政令指定都市である。

広島の地名の由来は以下の通りです。
広島という名称は、戦国時代末期の1589年、この地を支配した戦国大名の毛利輝元が築城に際して命名した。第二次世界大戦後に新字・現代かなづかいになる以前は「廣島(廣嶋)」と表記した。
輝元の時代、この地は太田川河口デルタの形成途上にあり、箱島(今の白島地区)や日地島(比治山)などの中洲が点在する五箇庄(ごかのしょう)と呼ばれていた。これらの中で最も広い島(実際には2番目)に築城したことから「広島」と命名したとされるが、輝元には別の意図もあった。広島築城事業は、当時120万石の「西国の雄」毛利家が、本拠地をそれまでの吉田郡山城から移して新たに築こうという大事業であり、城の名称には家運長久の願いが込められた。毛利氏は代々、大江広元の末裔であることを誇りとしており、「元」のほか「広」も諱に使用する字の一つとしていたことや「広大」「末広」の良縁起から「広」の字を冠することとし、「島」については城普請案内を務めた普請奉行の福島元長の名字からとって命名した。

真中にデザインされている、市章は旧芸州藩の旗印であった「三つ引」(三)にヒントを得て、これに川の流れを表現するカーブをつけて、水都広島を象徴したもので、明治29年5月19日に制定されました。


2016年7月10日日曜日

●2016年7月10日(日)島根県鹿足郡津和野町カラーデザインマンホールのふた
津和野町は島根県南部にある町です。
旧津和野町の市街地の町並みは、小京都ととして山口県萩市とともに津和野・萩として観光地の一角をなしています。
人口は7,600人程です(2016年6月1日現在)。
このマンホールのデザインは、旧津和野町内を流れる、津和野川や町内の水路を泳いでいる錦鯉です。

2016年6月19日日曜日

●2016年6月19日(日) 兵庫県神戸市市章および水道局章デザイン消火栓のふた

神戸市は兵庫県の県庁所在地であり、人口は約154万人の政令指定都市です。

このふたには神戸市の市章と六剣水と呼ばれる水道局章、神戸港のポートタワー、海洋博物館、神戸港、異人館のうろこの家とガス灯そして真中に風見鶏がデザインされています。

神戸市章は神戸市HPによると以下のような意味があります。
神戸の港は、もともと「扇港」とも呼ばれていました。また、「兵庫」と「神戸」のふたつの港が扇を並べたような形をしているという理由で、神戸の旧かな遣いである「カウベ」のカの字を図案化したものです。1907年(明治40年)5月に制定。


2016年6月12日日曜日

●2016年6月12日(日)大阪府大阪市市章市制100周年デザインマンホールのふた

大阪市は大阪府のほぼ中心にある政令指定都市です。
人口は約270万人(2016年2月1日現在)です。

このふたには市章の下に市制が施行された1898と市制100周年である平成元年の文字、市の花であるパンジーとその周りを囲む市の木であるサクラがデザインされています。

大阪市の地名の由来は、大阪市HPによると以下の通りです。
大坂・大阪・おおさか―。この地名のいわれは、いろいろな説がありはっきりとしていませんが、 室町時代、石山本願寺を建てた蓮如上人の御文章に書かれた「攝州東成郡生玉之庄内大坂」が、 文献に残る最古のものとされています。当時の文献には大坂とも小坂とも記され、 いずれもオサカと発音されていたと思われます。 江戸時代には、大坂三郷というように大坂が多く使われており、大阪も混用されてきましたが、 明治10年ごろになって、ようやく「大阪」に落ち着いたようです。

大阪市章の由来は大阪市HPによると以下の通りです。
みおつくし(澪標)というのは、古歌にもよまれているように、昔、 難波江の浅瀬に立てられていた水路の標識です。 摂津名所図会にはクイの上部に板をX型に打ちつけたものだけが見られますが、 天保年間の絵図には今の市章と同じ形をしたものが描かれています。 大阪の繁栄は昔から水運と出船入船に負うところが多く、人々に親しまれ、 港にもゆかりの深いみおつくしが、明治27年4月、大阪市の市章となりました。



2016年6月5日日曜日

●2016年6月5日(日)京都府舞鶴市汚水デザインマンホールのふた
舞鶴市は京都府北部丹後地方にある港湾都市です。
人口は約84,000人です。
舞鶴市は舞鶴湾とリアス式海岸を持ち、市内の東西を分ける五老岳から見える風景は近畿圏内で一番の風景と言われています。

その風景はこのマンホールのふたにフェリーと市の花であるツツジとともにデザインされています。