2015年10月25日日曜日

●2015年10月25日(日)
岩手県盛岡市市章汚水マンホールのふた

盛岡市は岩手県の県庁所在地で1889年(明治22年)の市町村制施行によりできた全国39都市の一つです。
人口は平成26年10月1日現在ほぼ30万人です。

盛岡市の地名の由来はhttp://www.bunka.pref.iwate.jp/seikatsu/chimei/data/shimei.html
によると
(1) 古くは「不来方」「古志方」、はじめは「森ヶ岡」のちに「森岡」と呼ばれ、藩主・南部氏が「盛り上がり、栄える岡」という意味を込めて「盛岡」と命名
(2) 杜の多い岡から転じた
という二つの説があるようです。

このふたの真中にある市章は盛岡市のHPによると以下のルーツがあるようです。

盛岡市の市章は,菱(ひし)形二つを直角に交差させたものです。
この紋章は,藩政時代から伝わる陣笠やかごなどにも用いられています。菱形は南部家が甲斐源氏の一族であったことを表し,一方,折りづるを図案化したようにも見えることから,南部家の紋章である”つる”を象徴しているという説もあります。
市章としての制定時期ははっきりしませんが,1906年に定められた「市吏員用提灯其ノ他ノ徽章ノ件」という規定に,職員用のちょうちんなどにこの紋章を使うようにと定められています。市旗は1968年11月に正式に定められました。
以上盛岡市HPより引用

2015年10月3日土曜日

●2015年10月3日(土)
青森県県章空気弁ハンドホールのふた

青森県は本州最北端の県です。
青森県は大きく津軽(青森市、弘前市など)、南部(八戸市、三沢市など)、下北(むつ市など)の三つに分けられ、それぞれの地域で文化や方言が異なる。
県の人口は2015年5月1日現在およそ130万人である。
この県章は1961年1月1日に青森県旗とともに制定された。
この県章は青森県の県土をシンプルに図案化したものである。

県名の由来は明治4年(1871年)9月に当時弘前町に設置されていた県庁が青森町に移設された際に、県庁所在地の地名がそのまま採用されたものである。「青森」という地名は、江戸時代に弘前藩が現在の青森市の場所に港町の建設を始めたときに名付けられたもので、現在の青森市本町付近に海上からの目印になる青い森があったことが由来とされています。(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E7%9C%8C)